みなさまこんにちは!
先月辺りに記事を書いた気がしましたが、何もありませんでした。自分の記憶っていい加減ですね。
今日は思うことがあって筆を取りました。
人のする仕事に対しての敬意についてです。
これ無くしてプロ同士の信頼関係など夢のまた夢と思っています。
敬意の話をすると返されるのは、自分の作業の速さ・熟達ぶりに比べての相手の未熟さがある限り、
敬意なんか払えるわけないだろう系の反論です。
自分がある作業で仮に95点取れるとしたら、相手が94点以下である限り俺が言いたいことがあるのは当然だといったところでしょうか。
さて、これは困った考え方です。間違っているとまでは思いません。
こうした現実の作業レベルの差があるから、「熟練工」や「職人」さんは尊敬される部分もあるわけですから。
でも、仕事ってそういうものではありません。
当社は工場であり、既に数十人で運営する規模の会社です。
相手の仕事に敬意を払えないのなら、全て自分でやれば安心安全高クオリティになるわけですね。
ではいま数十人でやっている会社という組織を1人でどうにかできるのでしょうか?
当社の規模の設備をひとりでどうにかできるのでしょうか?
その方が95点レベルの作業が出来るようになるまでその仕事に従事できたのは、
もちろん契約で決まっている方もいますが、
周りで違う仕事を分業でやってくれている人間がいるからです。
研究開発をして、営業をして、社会保険の手続きをして、経営をして、
品質管理をしたり、納期管理をする人間が他にいるからこそ、その人はそこまで到達できたわけですね。
それはどんな仕事でも同じです。
会社内だけの話をしているのではありません。
極端な話、分業が成立させられなかったら、今日食べる食事も自分で栽培・狩猟するところから始め、
飲む水を自分で調達する必要があります。・・・縄文弥生時代?
その大前提を忘れたが如く、人の仕事に注文ばかり付ける人に出くわすとどうコミュニケーションしようか、
毎回頭を悩ませます。
常に先祖の努力の上に我々の時代はあり、
今の自分の生きやすさは周りの人間が働いているからこそあるわけですね。
また仮に明確に何をしても他人より優れた業績を出せる社員がいたとしても、
いつかは病欠するし、人生の節目で休暇を取らざるを得なくなるでしょうし、
身体の衰えは必ずやってきます。
そのとき、給料をもらえるのは誰かが働いているからですし、衰えても仕事が出来ているとしたら、
後に続く人間のサポートがあるからこそなんですよね。
いつか来る自分のそういう瞬間のことも考えれば、
周りの人間とは当然常に敬意を払いあって仕事しなければならない、、、そう感じます。
もちろん、対等に、敬意を払いあいながら会社をより良くするためにぶつかったり議論することは必要です。
しかし一方的に悪く言うばかりでは、何も良いことが起きません。
世の中そんなキレイにならないよ、とアドバイスを頂くこと、あります。
自分でも、なんだか妙に果てしない道を歩いている気がすることもあります。
が、仕事のしやすさや、良い結果というのは、
良い給料・良い福利厚生、良い会社になるだけで得られるものではないです。
人生の大半の時間を捧げる仕事を通して、
何を学ぶか、どこを磨くかを追求するのはおかしなことでしょうか?
これも私の「ヨソに行っても社会の役に立てる人間を育てたい(自分もそうなる)」気持ちを根底に置いた
接し方から来る危機感のようなものです。
そもそも、シンプルに、悪口や批判ばかり横行するギスギスした会社より、
そっちの方が良くないですか?
今日もまた地道な取り組みを続けていきます。
2023-06-22 16:07:40
いろいろな雑談。
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